まにまに

チラシの裏みたいなブログ。

幸せを探す旅に出てみる。

ある朝 、グレゴ ール ・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき 、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた 。

 

有名なカフカの『変身』の最初の一文だ。

ある朝、私は悪夢から目覚めた直後、会社に行けない身体になっていた。

 

正確に言えば、数ヶ月前から心身は蝕まれていったのを自覚している。

夏の終わり、上司やクライアントのパワハラ・セクハラを飲み込んだ時、一緒に飲み込んではいけないものも飲み込んでしまったみたいで、微熱が続くようになった。飲み込めば飲み込むほど体の中は黒く穢れていく。

繰り返される胃腸炎。食欲不振。不眠。嘔吐。ヘルペス。蕁麻疹。喉や鼻の炎症。薬の効かない症状の数々。

 

外の世界が紅葉し始める頃、私は仕事に追われて終電に乗れない残業続きに上司の嫌味、深夜のクライアント対応に耐え忍び、銀杏が色づく頃には次々と同僚が音を上げて退職していった。

 

初雪が降る頃、仕事が手離れした瞬間の放心。

その瞬間、最後の何かが体から抜けていったみたいだ。

 

その夜から高熱を出して寝込んだ。

二日間、死んだように眠って週末を迎えた。

上司やクライアントから連絡の来ない、久しぶりの静かな休日。

 

ベッドの中でじっとシーツの手触りを楽しみ、布団の温もりを全身で楽しんだ。

その夜中、上司から嫌味のメールが来てうんざりしながら眠った。

気持ちの悪い夢を見ていたら目覚ましが鳴った。

 

起きなきゃ。

今日からまた苦しみのリピートが始まるんだから。

 

目覚ましを止めた途端、涙が込み上げてきた。

体には力が入らず、ベッドから抜け出せなくなった。

 

 

会社に行けなくなった体は、虫になったグレゴールと同じじゃないか?

 

原文の虫を表す「Ungeziefer」という言葉は、害虫や害鳥など有害な存在を表すらしい。

 

 

 そう思った途端、同棲中の彼の何気ない視線や言葉が、グレゴールの父親が投げたりんごのように私の体に突き刺さって腐っていく。

 

過呼吸になったり、いろんな症状に苦しみながらいろんなことを考えた。

 

例えば、この苦しみから私をすくい上げてくれる人たちはいるだろう、とか。

精神科医やカウンセラー、プロの人たち。

私から足を向ければ助けてくれる。

 

でもベッドから抜け出せない。

自分が「虫」になったことを認めることができない。

 

虫なの?

虫じゃないの?

 

なぜ「虫」ではいけないの?

 

グレゴールは最後にどうなったのだったっけ…?

 

そんなことを思いながら、ベッドでメソメソと泣いていたら、彼はため息をついて部屋を出て行き、夜まで帰らなくなった。

 

誰かに甘えたいと感じたけれど、両親に心配をかけられない。

 

グレゴールと違うのは、私の見た目は幸いにしてまだ「人」の姿だということ。

 

服を着て、化粧をすれば、いたって普通の女になれる。

 

服を着て化粧をし、靴を履いて外にとびだした。

空は真っ青で、道行く人たちは幸せそうに手を繋いで笑いあって去っていく。

 

大丈夫。

私もあんなふうだった。

きっと、またそうなれる。

 

そう思いながら、私にしか聞こえない羽音を精一杯立てて街を歩いた。

文房具屋さんで春を告げるかわいいレターセットを買った。

春がきたら両親と彼の家族に送ろう。

 

書店に入る。

自分の仕事に関係するコーナーを器用に避けつつ、棚を眺める。

あ、学生だった頃に読んでたな。

そう思って中沢新一の『熊を夢見る』を一冊購入。

 

花屋でチューリップを買おうか悩む。

彼が土を嫌がるから、次にしよう。

 

思い切ってジムに入会してみた。

私より一回り若いトレーナーの男の子に説明を受ける。

男子大学生らしい応対と冗談に思わず笑う。

何日ぶりだろう、笑ったのは。

 

そう思いつつ、服を着替えて気ままに運動。

 

火照った体で帰宅。

いつも寒くて寒くて仕方がなかったのに、体の芯からぽかぽかする。

重たい疲労感しか知らなかったのに、体が軽くなる疲労感もあるなんてと驚く。

 

 

虫かもしれない。

でも、部屋から飛び出せる虫だから、虫なりに何かを見つけられるかもしれない。

 

 

苦痛に満ちた世界には飽き飽きしたので、

少しの間、幸せを探す旅を始めてみよう。

 

忘れていた楽しさを思い出したり、新しいことに挑戦したり。

疲れたら罪悪感を抱かずに眠るし、ゲー怠惰も遊びもし尽くそう。

 

私を幸せにできるのは、私だけなのだから。